歴史と自然のまち「亀岡」

亀岡市に住みたい!

    京都府亀岡市

    亀岡市について

    亀岡市は京都府の中西部に位置する市です。来てよし!住んでよし!の亀岡市は、豊かな自然と温かい人々が迎えてくれるとてもよい町です。ここではそんな亀岡市の魅力を皆さんにご紹介します。亀岡市は以前は「亀山」という名称でした。旧丹波国の最南端に位置し、山城国・摂津国の境目となっています。旧丹波国の中では人口は一番多く、その中心都市として名高い場所でした。戦国時代末期に明智光秀が丹波亀山城と城下町を築き、それが現在の亀岡市の礎となっています。現在では京都・大阪の衛生都市の役割も果たしています。また、南丹市と船井郡京丹波町と併せて口丹波や口丹、南丹と呼ばれることもあります。市の花はツツジで、市の木はサクラです。

    人口

    亀岡市の総人口は91,234人で、京都市、宇治市に次ぐ、京都府第三の都市です。平成22年の国勢調査によれば、前回調査からの人口増減は1.68%減となっており、増減率は府下26市町村中10位、36行政区域中18位です。

    地理

    亀岡市は、亀岡盆地及び周辺山地を中心に位置しています。亀岡盆地のほぼ中央を大堰川・保津川が流れています。周辺山地には丹波高地などが亀岡市域に迫り出していて、山間部には東別院町・本梅町・畑野町等の地区があります。亀岡盆地は大昔は大きな湖だったことが地層によって明らかになっています。風が吹くと美しい丹色(朱色)の波が立ったところから、このあたりを丹のうみ・丹波と呼ぶようになったとされています。出雲神話で有名な「大国主命」が亀岡と嵐山の間にある渓谷を切り開いて水を流し土地を干拓して、切り開いた渓谷を妻神「三穂津姫命」の名前にちなみ、保津川・保津峡と名づけた、という伝説が残っており、出雲大神宮の祭神となっています。亀岡盆地を流れる桂川は、南丹市八木地区から亀岡市にかけては「大堰川」と呼ばれ、亀岡市保津町請田から京都市嵐山までは「保津川」、嵐山から合流地点は再び「桂川」と呼ばれています。桂川を大堰川と呼ぶ名称は、渡来人である秦氏が作った農業用の「堰」に由来しています。徒然草では「大井川」となっており、大井町にある大井神社に由来するそうです。その他にも流域によって「大川」「千歳川」などの名称で呼ばれています。馬路・千歳・河原林・旭の各町がある大堰川左岸は総称して川東と呼ばれ、愛宕山系の扇状地であり、同山系を水源とする七谷川や三俣川は高低差が激しく、よく氾濫したそうです。また、亀岡市街地は保津川より低地にあるうえ、保津峡でせき止められていることにより逆流を原因とする水害が多発していました。この洪水は日吉ダムの開設により解決していますが、遊水地となっていたJR嵯峨野線と保津川の間には、現在でもほとんど建築物がありません。しかし、嵯峨野線複線化に伴い、新たな都市開発の構想があるようです。

    気候

    亀岡市の気象台区分は、京都市・山城地域の京都府南部に含まれます。気候は内陸性気候で、晩秋から早春にかけて亀岡盆地名物の深い霧が発生します。「霧の都・亀岡」と呼ばれる所以はここにあります。この季節は京都市内から保津峡や老ノ坂峠を経て市内へ入ると景色が一変します。霧の規模は全国的に有名で、最大、正午過ぎまで晴れないことも多くなっています。この時期に衛生写真を撮ると亀岡市全体が霧の影響で白く写ることもあります。そのため、一般にはあまり普及していない自転車用のフォグランプの装着率が高いそうです。

    歴史

    古代には馬路町・千歳町出雲などの大堰川左岸の川東に古墳が多く見られ大豪族がいた地域と見られており、千歳町国分地区に国分寺が置かれています。日本書記には、6世紀のはじめ、皇位継承者の途絶えた朝廷が、天皇の血筋にあった倭彦王を迎えようとした、と記されています。丹波の桑田郡(現在の亀岡)にいた倭彦王は、迎えの兵に驚いて逃亡したため、その後朝廷は、越前から継体天皇を迎えたとされています。継体天皇元年に初めて神殿が建立された愛宕神社や出雲大神宮や立命館大学創立者の中川小十郎の子息である有名な彫刻家流政之さんの作品「くぐりほてい」がある養仙寺もあるなど歴史的に古い地域です。大堰川右岸の千代川町に丹波国府が置かれたとの説もあります。また、京都との国境の大枝には酒呑童子の鬼が居たと言われ、源頼光によって討伐されたという伝説があり、この伝説のためか、湯の花温泉入り口には鬼の立像が置かれています。

    人の移住

    現在の亀岡市街地から篠町にかかる地域は4世紀ころまでは湖沼地だったそうですが、秦氏の大堰川治水工事などにより利用可能な土地となると、桑田神社や屯倉が建立されたりして人の移住が見られました。市街地中央部から稗田野地区まで広範囲に条里制が敷かれたそうです。7~8世紀ころには山陰道各国府を結ぶ山陰道が設けられ、また現在の京都市右京区の京北地域にあたる弓削郷・山国郷などの木材が桂川に乗って京都へ運ばれるようになると、亀岡周辺は保津峡直前の船待ち場として発展しました。京都・山城から山陰へは当市域が入り口に当たるため、山城との境にあたる老の坂峠・王子宿には多くの宿場が立ち並ぶようになりました。また、土地の私有が可能になると、小川荘や桑田荘、矢田荘及び加舎荘などの荘園が開発されました。

    亀山城と城下町の発展

    安土桃山時代に入って明智光秀が丹波統治のため古世地区に丹波亀山城を築き城下町を形成したことによって、亀岡は近代的な発展を遂げます。明智滅亡後も豊臣・徳川政権下において丹波亀山城には羽柴秀勝、豊臣秀勝、小早川秀秋、前田玄以、岡部長盛など、信頼されている部下たちが配置され、京都の西北の入り口と重要視され続けました。ですが、亀山藩主は代々老中や寺社奉行、京都所司代、大阪城代などの要職を務めたために出費が嵩み、度々重税が課せられ、亀山藩支配下の村々は大変苦労したそうです。

    亀山から亀岡へ

    1869年、三重県亀山市と混同するため、亀山から亀岡へと改称されました。1871年の廃藩置県では亀岡県と制定され、同年に京都府の所属となりました。1899年、京都鉄道が園部まで開通し、その時に亀岡駅が出来ました。1919年11月、新宗教「大本」の指導者出口王仁三郎が丹波亀山城を購入、整備を開始しました。急成長する大本に恐怖した大日本敵国政府は1935年12月の第二次大本事件で徹底的に弾圧し、翌年5月には全施設を破壊・焼却しました。町には1ヶ月に渡って大量の塵や灰が降ったそうです。教団の土地はその後、城跡を含め亀岡町が格安値で購入しました。しかし太平洋戦争の敗戦により大本へ返還され、現在も宗教法人大本本部が亀山城跡に置かれています。

    映画の街

    京都市に隣接しているという立地条件のよさから、亀岡市ではたくさんの映画が撮影されています。時代劇を中心としたロケーション撮影が多く、かつては日本電波映画の日本映画第二撮影所がありました。映画との関わりが深い亀岡市ですが、残念ながら市内に映画館はありません。東本梅町の大内の大日堂前では水戸黄門などの東海道、馬路町の月読橋や河原林町の宇津根橋、保津町の保津橋は、大井川や利根川の渡しのシーンに利用されました。他にも保津峡や桂林寺、出雲大神宮などの社寺でも撮影が行われています。篠町の篠村八幡宮では「座頭市」シリーズの撮影が度々行われ、千歳町の丹波国分寺跡では山田洋次監督の「隠し剣 鬼の爪」の撮影でオープン・セットが組まれ、この映画は日本アカデミー賞美術賞を受賞しました。映画俳優の中村玉緒は亀岡の地を大変気に入り、夫の勝新太郎と「亀岡にお墓を建てて、二人でもどってこよう」と話していたそうです。また丹波哲郎も撮影で何度も亀岡を訪れ、先祖である丹波康頼のお墓がある金輪寺をたずねたそうです。亀岡を舞台にした映画としては、盲導犬と人との交流を描いた感動作「クイール」が製作されています。

    撮影された主な映画・テレビ番組

    • 羅生門
    • 蜘蛛巣城
    • 京都迷宮案内
    • 必殺仕事人
    • 暴れん坊将軍
    • 水戸黄門
    • 三匹が斬る
    • 芋たこなんきん
    • 戦国自衛隊
    • 子連れ狼
    • 鬼平犯科帳
    • 銭形平次
    • 遠山の金さん
    • 隠し剣鬼の爪
    • ちりとてちん
    • クイール
    2013 歴史と自然のまち「亀岡」
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